大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和61年(行ク)1号 決定 1986年5月28日

申立人(原告)

阿部満雄

右訴訟代理人弁護士

岩嶋修治

宮地光子

相手方(被告)

東大阪税務署長

山下功

右指定代理人

松本佳典

外四名

主文

一  相手方(被告)は、本件訴訟における推計課税のため抽出した同業者中、昭和六〇年九月一七日付相手方(被告)準備書面別表三に表示する東大阪税務署管内のA及びBについての各昭和五五年分ないし昭和五七年分の青色申告決算書(青色申告書添付の決算書一切)の写(申告者、税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの)を提出せよ。

二  申立人のその余の申立を却下する。

理由

第一 申立人(原告、以下、単に原告という。)の文書提出の申立及び意見

別紙(一)、(二)のとおり

第二 相手方(被告、以下、単に被告という。)の意見

別紙(三)のとおり。

第三  当裁判所の判断

一文書提出命令申立の方式について

被告は、本件文書提出命令の申立は、当該各文書の内容の大綱を開示していないから、民事訴訟法三一三条二号の「文書ノ趣旨」が不明確であり、また、その立証の趣旨も、被告が選定した同業者が原告と類似する業者ではないことというもので、具体的な事実ではなく、単なる法的評価にすぎず、同条四号の「証スヘキ事実」を明らかにしたとはいえないから、その方式を欠く不適法なものである旨主張する。

民事訴訟法三一三条二号が文書提出の申立に際して「文書ノ趣旨」を明らかにすることを要求するのは、同条一号の「文書ノ表示」を補つて提出すべき文書を特定し、文書提出義務の存否の判断を可能にさせるとともに、同条四号の「証スヘキ事実」との関連性を明らかにして、証拠としての必要性の判断ができるようにさせることにあり、同条四号が「証スヘキ事実」を明らかにすることを要するとするのは、「文書ノ趣旨」と相まつて当該文書の証拠としての必要性の判断を可能にさせるとともに、文書の所持者である相手方が文書提出命令に従わないときに、同法三一六条を適用して、文書に関する申立人の主張を認定、判断する資料として役立たせることにあると解される。

これを本件についてみると、一件記録によれば、本件訴訟は、被告が原告の昭和五五年分ないし昭和五七年分の所得税について更正処分をするに際し、原告の営むプレス加工業の所得金額を実額で把握しえないとして、原告が事業所を有する東大阪税務署管内及びこれに隣接する八尾、生野の各税務署管内において青色申告をしている同業者六名を抽出し、右同業者の当該年分の売上(差益)金額と所得金額とから所得率を計算し(被告第二準備書面別表三)、その平均所得率に基づいて原告の所得金額を算出したという事案であるところ、原告が提出を求めている文書は、右抽出にかかる同業者の当該年分の青色申告書添付の決算書一切(以下、単に青色申告決算書という。)であることは別紙(一)の文書の表示・趣旨の記載により明らかであり、提出すべき文書を特定するにはこの程度の表示で十分であるのみならず、その文書の内容も、右のような本件事案の内容を前提にし、また青色申告決算書という書類の性質が青色申告書に添付され、当該申告にかかる所得金額算出の根拠となる売上(収入)金額、仕入金額等の収支明細を記載するというものであることに鑑みれば、その記載内容の概略は右表示自体によつて既に明らかであつて、提出すべき文書の特定と証拠の必要性判断のための資料として要求される「文書ノ趣旨」の表示に欠けるところはないといわねばならない。

また、「証スヘキ事実」についての原告の主張は、結局、前記各同業者と原告とは、その専従者及び従業員の数、人件費、償却資産、賃料等の営業規模、業態等が異なるという具体的事実を立証の趣旨とするものと解され、かかる主張は、前記の青色申告決算書の性質、内容と相まつて当該文書の証拠としての必要性を判断するのに十分な立証趣旨の表示であるといい得るのであつて、「証スベキ事実」の表示に欠けるところはないというべきである。

また、同法三一六条の適用については、同条によつて真実と認める原告の主張とは、その文書によつて立証しようとする事実ではなく、提出すべき文書の性質、内容についての主張であるから、この主張が前記の如く概略的なものである場合には、右規定の適用によつて必ずしも要証事実の認定に資する結果を得られないこととなるにすぎないのであつて、同法三一六条の適用による実益が十分に生じないからといつて、「文書ノ趣旨」及び「証スヘキ事実」の表示が不適法なものとまでいうことはできない。何となれば、「文書ノ趣旨」及び「証スヘキ事実」として、前記のような概略的な主張を超えて文書の内容について具体的な金額を含む個々の記載事項を示さなければならないとすることは、文書を閲覧したことのない原告に不可能を強いる結果となり、ひいては文書提出の申立それ自体を一般的に事実上封ずることになつて相当ではないと考えられるからである。

そうすると、本件文書提出命令の申立は、その方式に違背する点はなく、適法といわなければならない。

二文書の所持について

行政庁を被告とする訴訟において、行政官署に存する文書の提出命令が申立てられた場合、文書の所持者とは、当該文書の保管の責に任じ、その閲覧の許否を決定する権限を有する行政庁をいうものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、前記抽出にかかる六名の同業者中、東大阪税務署内のA・Bの当該年分の各青色申告決算書(以下、これらを本件青色申告決算書という。)については、被告が保管の責に任じ、その閲覧の許否を決定する権限を有する文書であつて、被告の所持する文書であるといい得ることが明らかである。しかし、その余の同業者(八尾税務署管内のAないしC、生野税務署管内のA)の当該年分の各青色申告決算書については、いずれも本件訴訟において当事者となつていない右各税務署長保管の責に任じ、その閲覧の許否決定権限を有する文書と解され、これらの文書あるいはその写を被告が保管し、その閲覧の許否を決定する権限を有していると認めるに足りる資料はないし、被告が他管内の税務署長に対し、右各青色申告決算書の引渡を求めることができると解すべき何らの根拠もないから、被告は、右各文書の所持者にあたらないというべきである。

そうすると、本件文書提出命令申立中、本件青色申告決算書以外の青色申告決算書の提出を求める申立は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三文書提出義務の原因について

そこで、次に本件青色申告決算書が、民事訴訟法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」にあたるか否かにつき検討する。

同条一号が、当事者が引用した文書につきその当事者に提出義務を課した趣旨は、当該文書を所持する当事者が、裁判所に対し、その文書自体を提出することなく、その存在及び内容を積極的に申立てることにより、自己の主張が真実であるとの心証を一方的に形成させる危険を避け、当事者間の公平をはかつて、その文書を開示し、相手方の批判にさらすべきであるという点にあると解されるから、同条号所定の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、当事者の一方が、訴訟において、立証それ自体のためにする場合だけに限られず、その主張を明確にするために、文書の存在について、具体的、自発的に言及し、かつその存在・内容を積極的に引用した場合における当該文書を指すものと解するのが相当である。

本件についてこれをみるに、被告は、本訴において、前記抽出にかかる同業者らの当該年分の売上(差益)金額と所得金額からその所得率を算出し、それらの数値を被告第二準備書面別表三に表示したうえ、右所得率は、売上(差益)金額に対する「青色申告に認められている各種控除前の所得金額の割合」(同準備書面一の2の(四))であり、各同業者が所轄税務署長に「青色申告した際の金額」(同準備書面二の4)によつて算定したものであるから、その算定の基礎となる資料はすべて正確なものである旨主張し、右主張に対応する証拠として、「『同業者調査表』の提出について」と題する大阪国税局長作成の被告宛通達書(乙第五号証の一)及びそれに対する同じ表題の被告作成の大阪国税局長宛報告書(乙第五号証の二)を提出していることが認められ、右報告書(同業者調査表)に記載されている同業者二名の昭和五五年分ないし昭和五七年分の売上(差益)金額と所得金額は、本件青色申告決算書に記載された該当金額を移記して作成されたものであることが右通達書記載の報告書作成要領が「所得税青色申告決算書に基づき作成する」とされているところから明らかである。これらの事実からすると、被告は、本訴において、直接青色申告決算書という言葉を主張において用い、あるいは右決算書それ自体を証拠として引用してはいないものの、右主張とこれに対応する提出証拠とを総合すると、本件訴訟において、本件青色申告書の存在に言及し、かつその記載内容中の重要部分を明らかにしてその主張を構成し、立証の手段を講じているものといわざるを得ず、被告のこのような主張、立証は、被告がみずからの方針として選択して、積極的、自発的に行なつているものであることは明らかである。

したがつて、本件青色申告決算書は、民事訴訟法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」にあたるというべきである。

四守秘義務について

民事訴訟法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用され、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れるというべきである。

本件青色申告決算書は、個人の秘密に属する所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であつて、税務署長は、所得税の調査に関し職務上知り得た右のような事項につき、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によつて守秘義務を負うものであつて、税務署長が訴訟当事者として、このような文書を訴訟において引用したからといつて各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、税務署長は右秘匿部分について依然守秘義務を負つているものというべく、被告は、本件青色申告決算書の原本それ自体の提出義務を負うものではないというべきである。

しかしながら、本件青色申告決算書の記載部分中、申告者の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した写(本件で原告は、予備的にはこのような青色申告決算書写の提出を求めているものと解される。)については、それを提出することにより、納税者の営業、財産等に関する秘密を漏泄するおそれがあるとは考えられず、守秘義務違反の問題は生じないというべきである。

被告は、そのような写であつても、従業員・専従者の年令、償却資産の内容等、あるいは申告書自体の筆跡から申告者の特定が可能になる場合があり、現に具体的訴訟事件において原告側が、その申告者を特定し得たことがあり、さらにその申告者とされた者がその事業内容等につき調査され、困惑するという弊害も生じたことがある旨主張するが、特段の事情のない限り、相当多数にのぼると思われる東大阪税務署管内の同業者の中から、私人たる原告が右のような記載事項のみを手がかりに該当者を特定することが可能であるとは容易には考えられず、本件において被告主張のような事態が生ずるおそれがあることを窺わせる特段の事情の存在を認めるに足りる証拠もない。被告が訴訟において一個の文書の重要な一部を引用した以上は、その文書の内容全部を守秘義務に反しない限度で開示することが民事訴訟法三一二条一号の前示の立法趣旨に照らし、当事者間の公平をはかるために必要であるというべきであつて、根拠に乏しい申告者の秘密漏泄(東大阪税務署管内の選定同業者が二名にすぎないのは、被告が売上金額の範囲を定めるなど種々の条件を付して選定を行つたためであるから、右の同業者数が少いからといつて、同署管内の同業者数が少数で特定が容易であるということにはならない。)を理由に文書提出義務を否定する被告の主張は採用し難い。

したがつて、本件青色申告決算書の提出を求める申立は、前記のような申告者の特定に資する固有名詞を削除した写の提出を求める限度で理由があるが、その余の申立は理由がない。

五証拠としての必要性について

本件青色申告決算書(写)の証拠としての必要性の判断は、本案事件の審理と密接に関連し、受訴裁判所の裁量に属するものであるところ、被告のこの点に関する主張に照らし考えても、右文書が証拠としての必要性を欠くものということはできない。

むしろ、本件のような推計課説の合理性、これを担保するために必要な同業者とされたものの業態、事業規模等の原告との類似性が争点となつている事案の審理にあたつては、被告がその重要な一部を引用している本件青色申告決算書に記載されている従業員数、経費の概要、月別売上金額の推移等が重要な意味を持つ場合も少なくないと考えられること、また推計の基礎となる同業者の所得金額等の正確性についても青色申告決算書が最も的確な証明資料であることなどを考慮すると、その証拠としての必要性は高いというべきである。

六よつて、本件文書提出命令申立は、被告の選定にかかる同業者中、東大阪税務署管内のA及びBについての各昭和五五年分ないし昭和五七年分の青色申告決算書写(申告者、税理士の住所・氏名・電話番号、事務所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの)の提出を求める限度でこれを認容し、その余の申立を却下することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官山本矩夫 裁判官及川憲夫 裁判官村岡 寛)

別  紙(一)

一、文書の表示・趣旨

被告が昭和六〇年九月一七日付準備書面中に引用した、各業者作成の昭和五五年分ないし同五七年分の青色申告決算書。

二、文書の所持者

被 告

三、証すべき事実

右各事業者が原告に対する推計課税の基礎となしうる程度の同業者性を有しないこと。

四、文書提出の義務の原因(民訴法三一二条一号)

1 民訴法三一二条一号の立法趣旨は、訴訟で文書を引用して自分の主張の裏づけに引用した以上は、相手方より申立がある限り、文書の所持者にその文書を提出させ、これを相手方にも利用させることにより採証法則上当事者の実質的平等を図るという点にある。

2 ところで被告は、昭和六〇年九月一七日付準備書面第二項において、被告が選定した同業者なるもの六名の所得率の平均値を用いて原告の係争各年分の事業所得金額を推計し、右六業者の所得率は、各業者が所轄税務署長に青色申告した際の金額によつて算定したものであるから、その算定の基礎となる資料はすべて正確なものであると主張している。

3 被告は、右主張において巧妙に青色申告決算書という言葉を避けているが、青色申告者の中から右六業者を選定し、所得率算定の基礎とした金額も右六業者の青色申告決算書に基づいており、かつ、そのことをもつて算定資料の正確性の根拠として主張しているものであるから、結局のところ自己の主張(推計の合理性)の裏づけとして、右六業者の青色申告決算書を引用して主張したことに該当する。

4 なお被告は右六業者のうち被告以外の税務署所轄の四業者作成にかかる青色申告決算書については現実に所持していないというかもしれないが、被告は、本件訴訟における防御方法として大阪国税局(長)を経由して八尾・生野各税務署所轄の青色申告者の中からも、青色申告決算書をもとにして同業者なるものを抽出し、その所得率をも推計の根拠としているものであるから、右四業者の青色決算書についても被告は右同様の手続で事実上自己の支配に移しうる地位にあるとみるべきであり、所持に該当する。

別  紙(二)

原告は、被告の昭和六一年四月一六日付意見書に対し、次のとおり反論する。

一、本件申立が不適法であるとの主張について

被告は、本件申立が不適法である旨主張するが、その根拠とするところは、およそ、原告の申立の趣旨を意図的に曲解したものとしか思えず、実質的な反論には全くなりえていない。

まず、「文書の趣旨」についてであるが、原告は「被告が昭和六〇年九月一七日付準備書面中に引用した、各業者作成の昭和五五年分ないし同五七年分の青色申告決算書」と表示しており、右表示によれば、申立の対象とされた文書は、被告が原告の同業者として選定した東大阪A、B、八尾A、B、C、生野A(以上いずれも被告提出昭和六〇年九月一七日付準備書面別表三記載の同業者)がそれぞれ、管轄税務署長宛に作成した昭和五五年ないし昭和五七年分の青色申告決算書であることは明らかであり、文書の特定としては十分である。

また、「証すべき事実」についても、原告が、「右各業者が原告に対する推計課税の基礎となしうる程度の同業者性を有しないこと」としたのは、要するに、被告が原告の同業者として選定した東大阪A、B、八尾A、B、C、生野Aと原告とは、その専従者数、雇人数、雇人給料、償却資産、賃料等の営業規模、業態等において異なるという事実そのものを示しているのであつて、被告が指摘するような「一定の法的評価」では決してない。

二、提出義務の原因の不存在の主張について

まず被告は、その主張において、青色申告決算書の存在と内容について言及したことがないから、「訴訟において引用した文書」にあたらない旨主張する。しかしながら、これこそ、詭弁以外のなにものでもない。被告は、本意見書においては、ストレートに「青色申告決算書は課税庁が推計課税を行なうに当つての第一級の資料」である旨主張(同書面三、2、(二))している。この被告の主張からも明らかなとおり、被告が、準備書面において、前記六つの同業者の所得率から推計課税を行なつた旨主張したことは、要するに「前記六つの同業者の青色申告書を第一級の資料として推計課税を行なつた」旨主張したに等しいものである。また、万一被告主張のような論法で文書の提出義務が免れるとするならば、文書を自己の主張の根拠としようとする者は、その文書そのものを証拠とせず、文書を調査した結果を別の文書として、その別の文書を証拠とすることにより、容易に民訴法三一二条の形骸化をはかることができる結果となつてしまうのである。

さらに被告は、本件同業者に係る青色申告決算書を被告において所持していないことを提出義務の不存在の根拠としている。しかしながら、民訴法三一二条にいう所持者とは、「現に文書を握持するものという狭い意味に解すべきものではなく、現にその手裡に所持していなくても、いつでも事実上これを自己の支配に移すことのできる地位にある者を包含する」と解釈するのが通説判例の立場であつて、この点においても被告の主張は失当である。

三、守秘義務による提出義務の不存在の主張について

(一) 被告は、本意見書において、従前は少なくとも申告者の氏名、住所、その他の固有名詞を削除した青色申告決算書の写しであれば、それにより同業者の匿名性は維持できるから守秘義務に反することにならないとの立場をとつていたことを認めている。ところが、現在はそのような立場をとらない旨主張するのであるが、この解釈を変更させた理由としては、「具体的訴訟事件において原告側が、申告書写しに基づく調査で、申告者を特定しえたと主張する事例が大阪国税局管内でも相当数にのぼつた」ことをあげている。

しかしながら、右主張は、およそ考えられないことと言わざるを得ない。被告は、同様な論法で本件についても「被告が、一定の選定基準を設定したうえで……基準に該当する者は、被告ら七署の管轄区域内に僅かに六件であつたことからみても、被告として申告者の匿名性維持には特に細心の注意を払う必要がある」旨主張しているが、これも被告が、真実そのような必要性を感じているとは、とうてい考えられないのである。そもそも、大阪国税局管内における個人の金属プレス加工業の数は、かなりの多数に及ぶことは容易に想像のつく事実である。被告は、原告の同業者がわずか六件であることをもつて匿名性についての危惧を表明しているが、わずか六件という絞りをかけたのは、まさに国税局という公権力が、その青色申告決算書等を含む内部資料を駆使したうえでのことであつて、そのような資料を持ち得ない原告にとつては、六業者の特定などおよそ不可能であると言わざるを得ない。

被告は、具体的訴訟事件において原告側が、申告者を特定しえたと主張する事例が相当数あつた旨主張するが、実際にはそのようなことはおよそ考えられないのであつて、にもかかわらず、被告が、青色申告決算書の提出に消極的なのは、青色申告決算書のみ(特定をせずとも)によつても被告主張の同業者性の判断に不利益に作用すると考えているからにほかならない。

(二) また、被告は民訴法二七二条を類推適用すべき旨主張しているが、これほど手前勝手な主張はない。

なぜなら、そもそも民訴法三一二条一号が訴訟引用文書について提出義務を認めたのは、もつぱら訴訟において当事者は実質的に平等であらねばならないという基本的要請に基づくものであり、当事者が訴訟においてその所持する文書を自ら引用して自己の主張の根拠としながら、他方で、秘密の保持を要請されているからといつてその提出を拒否するのは、原告の防御権を侵害するのみならず、訴訟における信義誠実の原則にも反するからであり、提出拒否を認めるなら、文書を引用してなした被告の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめ、適正な裁判を誤らしめる危険さえあるので、これを原告の批判にさらすことが採証法則上公正であると考えられるからであり、そしてこのような場合秘密の保持を要請されている内容の文書であるにもかかわらずこれを訴訟維持のためにあえて自らの主張の根拠にした当事者は、該文書についての守秘義務を遵守せず、それによつて得られる秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべきだからである(名古屋高決昭五二・二・三判例時報八五四号六八頁)。

なお、右に対し、「保護される利益は被告ではなく第三者たる同業者にあるのであるから、被告が右文書を引用しても第三者の利益まで放棄されたことにはならない」との批判があるが、これは的はずれの批判である。ここで問題になつているのは公務員に課せられた守秘義務の問題であり、公務員法上の規定も、所得税法二四三条も直接第三者たる同業者の秘密を保護するための規定ではなく、あくまで公務員の服務規定として定められているものである(その結果として第三者たる同業者の秘密が守られるにすぎない)。したがつて、もともと当該公務員が第三者たる同業者の秘密を守るとか、放棄するとかいう次元の問題ではない。もし仮に右守秘義務規定が第三者たる同業者の秘密を守ることを直接規定したものとすれば、その者の承諾がない限り当該公務所なり公務員の裁量で訴訟に引用することはできないはずのものであるが、引用するに当つて被告がいちいち承諾を得ているとは聞いたことがない。また、被告も認めているとおり、民訴法二七二条は、公務員が職務上知りえた秘密を公表することによつて「国家利益または公共の福祉に重大な損失、重大な不利益を及ぼすことになる」場合の規定であつて、もともと特定の個人の秘密を保護するための規定ではない。したがつて、単に同業者たる第三者の秘密を守るためという理由では同条を類推適用することはできない。

四、文書提出の必要性について

被告は本件において、差益金額が原告の五〇パーセントから一五〇パーセントの者を同業者として選定し、これら同業者の所得の差益に対する割合(所得率)を単純にはじき出して推計課税を行なつている。

しかしながら、経費のうち特別経費(ことに人件費)は、各業者によりかなりの個別性があり、しかも、売上げとの比例的な対応関係は弱いものである(ことに専従者により行なつている業者については、人件費としては計上されない)から同業者の選定にあたつては、まず、特別経費についてその同業者性が判断されねばならない。

ちなみに、原告の五六年、五七年の特別経費の内訳は、別紙(一)のとおりであり、被告主張の売上(差益)金額を認めたうえでその各比率を算出すると、昭和五六年については、人件費が四一・五六パーセント、地代家賃が一〇・七パーセント、原価償却費が七・七パーセントとなり、昭和五七年度については、人件費が四四・八パーセント、地代家賃が一三パーセント、原価償却費が一〇・四パーセントとなる。そして試みに、被告が、同業者として選定した六つの業者について、原告の右特別経費率に従つて特別経費を算出したものと、各所得をさし引いて、一般経費率をはじき出してみたものが、別紙(二)及び(三)である。それによれば、一般経費率が、数パーセントの者が多数みられるほか、なかには一般経費がマイナスとなるものさえ(昭和五七年度八尾C)あるのである。このことからしても、被告がかかる特別経費における同業者性を全く検討せずに原告の同業者を選定したことには問題があり、各六つの業者の特別経費を明らかにする必要上からも、青色申告決算書の開示が必要であること明らかである。

別紙 別表(一)特別経費内訳<省略>

別表(二)<省略>

別表(三)<省略>

別  紙(三)

原告は、昭和六一年一月二九日付け文書提出命令申立書により、同申立書の一記載の各青色申告決算書の提出命令を申し立てているが、本件申立ては、以下に述べるとおり不適法であり、かつ理由がないから速やかに却下されるべきである。

一 本件申立ての不適法(必要的記載事項の欠缺)

民訴法三一三条は文書提出命令の申立ての必要的記載事項として、二号で「文書ノ趣旨」を、四号で「証スヘキ事実」を明らかにすることを要する旨規定しているところ、同法三一六条が当事者の不提出の効果を、また三一七条が当事者の使用妨害の効果を規定していることから明らかなとおり、文書提出命令の申立てにおいて文書の内容の大綱を開示して文書の趣旨を、また、当該文書により証明すべき具体的な事実を開示して証すべき事実を明らかにしていないときには、右各法条の適用が不可能になることからして、右事項が明らかにされていない文書提出命令の申立ては不適法な申立てといわなければならないこというまでもない。

しかるところ、原告は、文書の趣旨として、本件訴訟において被告が抽出した同業者の本件係争各年分に係る青色申告決算書というにとどまり、当該各文書の内容の大綱を開示してはいないのであるから、到底「文書ノ趣旨」を明らかにしたものということはできないのである。また、原告は、証すべき事実としては、右各同業者が原告と類似する業者ではないことというにとどまるところ、これは、具体的な事実に対する一定の法的評価にすぎないのであり、本件訴訟において判断されるべき主命題であるから、「証スヘキ事実」とはなり得ないのである。民訴法三一三条四号の「証スヘキ事実」は、前述のとおり具体的な事実であることを要し、これが前提となつて前記主命題が判断されるものであるから、文書提出命令の申立てに係る文書をもつて証すべき対象は、具体的な事実であり、原告が掲げるような抽象的な表示をもつてしては、「証スヘキ事実」を明らかにしたものということはできないのである。

したがつて、本件申立ては、「文書ノ趣旨」及び「証スヘキ事実」を明らかにしていないのであるから、民訴法三一三条に違反する不適法な申立てといわなければならない。

二 提出義務の原因の不存在(民訴法三一二条一号非該当)

原告は、本件訴訟において被告が抽出した同業者の本件係争各年分に係る青色申告決算書は被告が訴訟において引用した文書であり、これを被告において所持している旨主張する。

しかし、原告も認めているとおり被告が本件訴訟において、青色申告決算書の存在と内容について言及して被告の主張を明らかにしたことはないのであるから、青色申告決算書を被告が訴訟において引用したものということはできないこというまでもない。なお、被告が青色申告をしている同業者の申告内容に基づく主張をしたとしても、これをもつて、決算書自体を引用したことにならないことは明らかである(すでに提出した乙第五ないし第一一号証の各一、二からも明らかなように、被告の右主張は、決算書とは別個の文書としての同業者調査表に基づくものである。)。しかも、青色申告決算書は青色申告書に添付して納税義務者の納税地の所轄税務署長に提出すべきもの(国税通則法二一条一項、二項、所得税法一四九条)であり、そして、提出を受けた所轄税務署長の責任においてこれを保管しているのであるから、本件訴訟において被告が抽出した同業者に係る青色申告決算書を被告において所持してもいないのである。

したがつて、本件申立てに係る文書を民訴法三一二条一号の文書であるということはできないのである。

三 職務上の秘密(守秘義務)による提出義務の不存在

1 職務上の秘密と文書提出義務

民訴法二七二条は、公務員を証人として職務上の秘密につき尋問するには監督官庁の承認が必要であると規定しているが、これは右秘密を公表することによつて国家利益または公共の福祉に重大な損失、重大な不利益を及ぼすことになるところ、これを公表することの当否の判断は、その利害得失を最もよく知つている監督官庁に委ねるのがもつとも合理的であるとの趣旨に出たものであるから、同条の趣旨は職務上の秘密に関する文書の提出についても類推すべきである(東京高等裁判所昭和四四年一〇月一五日決定・判例時報五七三号二〇ページ、名古屋地方裁判所昭和五一年一月三〇日決定・判例時報八二二号四四ページ等)。

2 青色申告決算書の提出と守秘義務

(一) 課税庁は、所得税の賦課の必要上、納税者の所得金額算定の基礎資料の提出を受けているが、これら資料は納税者の営業上の秘密やプライバシーに関するものであるから、税務職員は、それを他の用途に用いることにより、納税者の営業上の秘密、プライバシーが侵害されることのないように細心の注意を払うべき義務(守秘義務)を負わされている。

(二) ところで、納税者の帳簿等の資料備付の不充分、税務調査非協力等により課税庁として所得金額を推計して更正、決定をするほかない場合があり、しかも、その推計方法として納税者と業種、業態等の類似するいわゆる同業者の売上原価率、所得率等(同業者率)によることが合理的であることが少なくない。このような場合に、右同業者率を把握、算定するには、納税者の事業地の近隣地域の同種事業者の中から営業規模その他の業態の類似する者を調査、発見してその同業者の所得金額計算の基礎数値に基づいて行うことが必要となるが、その資料としては、数値その他の資料としての正確性からしても、また調査の容易性からしても、通例は各税務署長が青色申告者から提出を受けて保管している青色申告決算書を用いることになるのであり、この意味で青色申告決算書は、課税庁が、推計課税を行なうに当たつての第一級の資料であり、多くの事案においては、これを利用することなく合理的に所得金額を推計することは、きわめて困難である。

(三) しかし、一方、右のようなやむをえない事情により、青色申告者の青色申告決算書を利用して同業者率を算定し、そのための基礎数値を公表することは、各申告者の営業上の秘密やプライバシーを侵害することにつながる危険性を包蔵するものであり、税務職員は、守秘義務遵守の立場からその利用に当たり、その危険性が現実化しないよう細心の注意をする職責があるが、その際の要諦は、同業者(青色申告者)の匿名性の確保である。すなわち、所得計算の基礎数値等の申告内容が公表されても、その申告者が誰であるかが持定されないかぎり、営業上の秘密やプライバシーの侵害は生じないのである。

(四) 被告を含む国税当局は、このような見地から、更正処分取消訴訟等の税務訴訟において、同業者率の正確性とその適用の正当性との立証として、申告者の氏名、住所その他の固有名詞を削除した青色申告決算書の写し(機械コピー)を書証として提出したことがあつたが、それは、右削除措置により同業者の匿名性は維持できるから、守秘義務に反することにはならないとの判断に基づくものであつた。しかし、青色申告決算書には、税務署長側が立証しようとする事項以外にも沢山な情報内容が記載されているため、例えば、従業員・専従者の年令、償却資産の内容等から、あるいは、申告書自体の筆跡から、申告者の特定が可能になる場合があり、現に具体的訴訟事件において原告側が、申告書写しに基づく調査で申告者を特定しえたと主張する事例が大阪国税局管内でも相当数にのぼり(もちろん、ここでは、右特定が客観的事実に符合しているか否かを問題にしているのではない。)しかも、その同業者と名指された者が、原告側からその事業内容等につき調査されたりして困惑するという事態が生じるに至つた。右のような事態は、申告者の住所、氏名等を削除してもその匿名性が維持できないことが少なくないこと、そして、課税庁が右のような形で青色申告決算書写を書証として提出することは守秘義務に違反するおそれがあることを示すものである。

(五) そこで、課税庁としては、右のような守秘義務違反になるおそれがなく、しかも、同業者率の正確性、その適用の正当性の立証として必要かつ充分な書証として、大阪国税局長の発した一般通達に基づき、青色申告者のうち選定条件を充足する者、あるいは指名された者の決算項目中、売上金額、売上原価、一般経費等の同業者率算定に必要な数値を各税務署長が調査、報告した文書を提出することを原則とするに至つたものである。

3 本件の場合

(一) 本件においても、被告は、大阪国税局長が一定の選定基準を設定のうえでなした通達に基づき、被告らが調査、報告した文書を乙第五ないし第一一号証の各二として提出したのである。そして右選定基準(被告第二準備書面の二の1)に該当する者は、被告ら七署の管轄区域内に僅かに六件であつたことからみても、被告として申告者の匿名性維持には特に細心の注意を払う必要がある場合なのである。

(二) したがつて、本件において青色申告決算書を提出することは、前記決算書提出の一般的問題の他に、右のような特殊事情も加わつて、仮に、申告者の氏名、住所等を削除したとしても、その申告者の指名が特定されるおそれは、きわめて高く、このような場合において、この文書を提出することが、税務職員である被告に課された守秘義務に違反するものであることは明らかであり、被告は、民訴法二七二条、二八一条一項一号の趣旨を類推して、本件文書の提出義務を免れるものというべきである。

四 本件文書の証拠としての必要性

推計課税事件において、推計の合理性に関しては被告側に立証責任があるとされているところ、右の経過からも明白なように、被告としては、推計の合理性、とくに原告と同業者との業態の類似性については、乙第五号証ないし第一一号証の各一、二の提出及び証人による同業者選定経緯等の立証で十分であると考えるものであり、しかも、これを争う原告としても、青色申告決算書の提出だけでは、業態の非類似性を証すものとはなりがたいことは明らかである。このような事情がありながらなお決算書提出に固執する原告の意図は、その提出により同業者を特定し、その同業者に対する調査によつて、業態の些細な相異を指摘して推計の合理性を争うことにあると断ぜざるをえず、同業者の特定のために必要であるというのは、前記守秘義務との関連をしばらく措くとしても、提出命令の要件たる証拠としての必要性に該当しないというべきであり、また、推計課税訴訟の審理のあり方からしても、被告が主張する業態の類似要件で推計が合理的であるか否かがまず判断されるべきなのであり、それが肯定される以上、原告が主張する業態の些細な相異については判断の必要がないというべきであるから、この意味でも、本件文書は証拠としての必要性は否定されるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例